My Backbone 本と映画と音楽と ~「小清水 志織」こと Yくんのリクエストに応えて~ 


  『橋のない川』(住井すゑ 著。1961<昭和36>年 初版。新潮社 刊)


※このホームページの「脚下照顧」のコーナーから

すぐに教材化したいソフト(映画)がある。『橋のない川』(住井すゑ原作。東陽一監督)。「差別してどついてくる連中をどつき返しても

しゃーないで。わいはどつくんやなくて、勉強する」の台詞を、生徒たちに紹介したい。「勉強するのは何のため?」の問いに、「不正と

闘うため」と答えられるようになって欲しいから。 2019.10.28


「改善されなければならないのは、我々部落の人間ではなく、我々を差別するこの社会そのものなのでは」の台詞が一番印象的だった。

これは部落差別だけでなく、障害を持っている人への差別や外国人への差別などにも当てはまると思う。以上、多くの生徒が書いてくれた

感想や意見。映画「橋のない川」(クライマックスからラストシーンまでの20分程度。そこまではプリントでストーリーや原作者・制作者の

コメントを紹介)を、倫理の授業で鑑賞して。 2019.11.6


3連休最終日は、ひねもす「読書。時々ギター」。読書は『橋のない川』(住井すゑ著 新潮文庫)全6巻中第2巻を、ほぼ読了。ギターは

練習(コードのドレミファ→3つのポジション毎の弦のドレミファ)→弾き語り(ストローク弾きの「パラレル」(吉田拓郎)など→アルペジオ弾きの

「木枯らしに抱かれて」( THE ALFEE )など。『橋のない川』第1巻の「著者あとがき」には、「〝橋のない川〟のモデルは?と、興味深げに

訊かれることがある。そんなとき、私は答える〝モデルは水平社宣言です〟と」。アルペジオ弾きのラスト「4月になれば彼女は…」には、

「 resting in my arms again 」。 2022.1.10


「曇り晴れ」の空の下、隣町の桂谷(かつらだに)まで小一時間の「読書散歩」。住井すゑの『橋のない川』第3巻を読み終えて、第4巻に

突入。物語の時代は、シベリア出兵と米騒動。ハッとしたのが、ロマン=ロランとホイットマンの引用。前者は小説『ベートーヴェンとミレー』

(訳者の序文から「原著者ロマン・ロオランも、ベエトオフェンとミレエの存在は、悲哀と絶望の中に頭<こうべ>を垂れねばならぬことのある

人間にとって、何よりも力強い福音であるとのべている」)、後者は詩集『草の葉』(「足にまかせて心軽く私は大道を闊歩する 健康に 自由に 

世界を見すえて 大道は私が欲するままに私を導く 私は幸運を求めない 私が幸運そのものだ 臆せず ためらわず 満ち足りて私は大道を

旅して行く 大地は自足してる」)。『橋のない川』は、『ジャン・クリストフ』や『草の葉』のような「世界文学」だと思う。翻訳されて、諸外国でも

読まれているのだろうか? 2022.2.12


昨日は越前大野に行き、紅葉に映えるお城の近くでお結び(前の日に野球部のマネージャーが握ったもの。フードロスを減らす取組)を食べた。

寺町通りを中心にした散策も、久し振りのモモンガ・コーヒー店でのひととき(ブレンド・コーヒーの美味しいこと!)も楽しくて、南部酒造場では

「花垣」と「茶の木屋」をそれぞれ1本ずつ購入。…で、日曜日は家で「秋の読書」三昧。『橋のない川』第7巻(住井すゑ 著。新潮文庫。第6巻

刊行後20年振りの作品で「残念ながら」最終巻)を読了し、『現代思想入門』(千葉雅也 著。講談社現代新書)は第3章フーコー~社会の

脱構築~までを味読。前者の解説には、次のような指摘があった。「日本の文学の土壌では大河小説は育たないのであろうか、との思いは

長く私につきまとっていた。~中略~だがちがった、私は戦後『橋のない川』に出会った。結論として言おう、『大河小説中の大河小説』、それは

まさしく正真正銘のそれだった。住井すゑさんの『橋のない川』」(寿岳章子)。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のように、「永遠の未完成」で

宙づりになって今も「君たちはどう生きるか」を問い続ける『橋のない川』。もう、今生(こんじょう)で全部を読み返すことはないかな…と思う。

だからこそ、『橋のない川』の思想や想いを体現して生き抜きたい! 2022.11.27